斐太今昔物語

斐太神社

 うっそうとした杉木立に囲まれ、凛とした趣をたたえる斐太神社は、平安初期の大同2年(西暦807年)創建。第60代醍醐天皇時代の延喜式(西暦927 年)にも名を残し、古くから朝廷に格式を認められた名刹です。中世には上杉家の信仰が厚く今も全国各地から参拝者が訪れています。

 平安時代初めの大同2年(807年)創建と伝えられる斐太神社は、全国の名社を集めた「延喜式」(延長5年・927年発行)にも名を残す古刹。当時斐太神社では中風に効く薬を製造していて、その格式とともに病気の神様として人々の深い信仰を集めてきました。
 中世には上杉氏の尊信が厚く、斐太地区の産土神としてますます発展。その後、高田藩主となった榊原家も代々斐太神社にお参りしたと伝えられ、寄進された三本槍と一本槍・薙刀が社宝として安置されています。
祭神は大国主命・矢代大明神・諏訪大明神の三柱。現在も年3回祭礼が行われ、全国から参詣者を集めています。

 

斐太遺跡

 斐太の丘には太古からの史跡が点在し、歴史を学びながら遊び、憩える公園です。竪穴式住居跡や、上杉謙信の跡目争いに敗れた悲劇の武将・上杉三郎景虎の最後の地、鮫ヶ尾城跡があります。
 ここは緑の香りと光がいっぱい。釣りが楽しめる池、ミズバショウなどの咲く湿性植物 の沢、アスレチックなど、子どもから大人まで、大自然の中でのんびりと過ごせる場所です。

 

 斐太遺跡を中心として分布するのが観音平・天神堂古墳群。観音平古墳群は古墳時代後期の群集円墳で、52基のうち20基に幅2~3mの周濠が確認されてい ます。天神堂古墳群は、古墳時代中期末~後期の方墳・円墳107基が残存する、北陸地方でも極めて珍しい大規模群集墳。そのほとんどが周濠をもち、竪穴式 石室や横穴式石室が数多く確認されています。